「菊水帖」は、菊水帖から新たに読み初められても、さしつかえないものになるつもりである。
意図としてでなく構成上、次の「××帖」も同様に、一帖一段落でゆくつもりなのだ。「いッたい、太平記のどの辺まで書く御予定なんですか」ともよく人にきかれるが、それも「――行けるところまで」というのが私のたてまえである。読者が飽いたらすぐやめる。
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「あしかが帖」での、高氏、道誉、藤夜叉、高時、ほか傍系の人物も、やがてみな菊水帖の登場人物となろう。読者には、草心尼や覚一など、実在の人か否か、その辺が気がかりらしいが、覚一は実在の人である。ただ、足利高氏の甥(おい)か従兄弟(いとこ)かには確証がない。――ないままに私はいとことして書いた。
従来、将軍足利尊氏の縁者に、そんな変った盲人があったことなどちッとも注意されなかった。だが覚一は後年、明石に住んで“明石ノ検校(けんぎょう)”といわれ、後醍醐、光厳、後村上、光明の諸帝も彼の平家琵琶を愛された。盲目の彼一人には、南北朝の別もなくまた暗黒期もなかったのだ。
その晩年には、京都高倉綾小路に“清聚庵”という盲人組織の職屋敷をおいて、それまでは全く社会の癈疾者――厄介者としかみられていなかった盲人に“平家琵琶”という一職業を与え、検校、別当、勾当(こうとう)、座頭(ざとう)の四階位から十六階位までの瞽官(こかん)制度のゆるしを得、瞽官の授与やその他で上がる金で、全盲人のうえに希望と保護をもたらした人でもある。